「このマンガを読め!」1位に『痩我慢の説』 藤枝静男による小説を川勝徳重がコミカライズ

ムック「フリースタイルvol.62」(フリースタイル)掲載のマンガランキング特集「THE BEST MANGA 2025 このマンガを読め!」の第一位に、リイド社刊行の『痩我慢の説』(川勝徳重/藤枝静男)が選ばれた。

書影_痩我慢の説
痩我慢の説

「このマンガを読め!」は2004年から始まった漫画ランキングで、20周年を迎える。一位に選出された『痩我慢の説』は、藤枝静男が1955年に発表し芥川賞候補になった同名小説を、川勝徳重がコミカライズした作品。

著者・川勝徳重によるコメント、作品紹介

劇画家デビューから苦節14年。
賞とは無縁の人生でしたが、ついに誉れある1位をいただいて、感激しております。父から言われた「艱難辛苦は汝を玉とす」という言葉を胸に、日々奮闘努力してまいりました。
拙著をお読みくださった読者の皆様、本の制作・販売に携わってくださった方々、そして何より藤枝静男様、本当にありがとうございました。


本作は藤枝静男「痩我慢の説」(1955)のコミカライズ作品です。

原作者をモデルにした「私」は日本の地方都市の中年の開業医。
彼の医院に19歳の姪っ子が、しばしば東京から家出をしてきては泊まってゆきます。
この二人のジェネレーション・ギャップが物語の主題です。

主人公の「私」は1920年代から1930年代のはじめにかけて青春を送りました。
それは決して明るいものではありませんでした。
彼は大学受験に失敗して浪人を繰り返し、兄弟の結核に怯え、自らの持て余した性欲を嫌悪していました。
何よりもマルクス主義のシンパでありながら、運動に参加しきれない後ろめたさは相当のものでした。
医学部学生だったときには、左翼組織に寄付したことで50日間拘留され拷問もされました。

一方、彼の若い姪っ子は、育ちは貧しかったものの、戦後=アメリカの自由主義的な価値観のもと若さを謳歌してのびのびとしている。
「私」はそれを苦々しく思いながらも、姪っ子の成長を優しく見守ります。この二人の衝突と和解が物語のテーマです。

1945年の敗戦は、日本の社会に大きな衝撃を与えました。
この敗戦を何歳に経験したかによって、この衝撃の種類は違います。
すんなりとアメリカ的な価値観に乗れた人もいれば、反発を覚え続けた人もいる。
高らかにマルクス主義を掲げた人もいれば、戦時中の特高の拷問により「(思想)転向」をしたことを悔やみ続けるものもいる。
そのような中で、藤枝静男は自らの暗い青春と、妻や親兄弟を蝕んだ結核菌にまつわる自伝的な作品を書き続けました。
「痩我慢の説」もそのような自伝的な作品のうちの一つです。

1955年は、サンフランシスコ平和条約で日本国の主権回復が果たされてから4年後。
そして敗戦後にはじめて戦前のGDPを上回った年です。1956年には内閣府は「もはや戦後ではない」と声明を出します。
しかし、そう簡単に割り切れない人もいる。この漫画の主人公がそうです。
戦前と戦後の価値観の相違と、その違いにどのように向き合うかというかというテーマは、かつての日本文学や映画で繰り返し語られたものですが、現在では忘れられています。
本作は、そのような現代日本の成り立ちを考える上で重要なテーマの掘り起こしという意義もあります。

コミカライズするにあたり、その表現のスタイルは『月刊漫画ガロ』でよくみられた語り口と、戦時中の日本の漫画に見られる絵柄を採用しました。
漫画に登場する犬は「Felix the Cat」や「のらくろ」を参考にしています。
また1950年代半ばの雰囲気をよく伝えるため、時代考証には注意しました。
かつての日本で、よくみられた何気ない風景の数々が再現されているはずです。
絵に関しても、昔ながらの付けペンを用いたアナログ作画にこだわりました。

お楽しみいただけたら幸いです。

川勝徳重

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